

言語哲学研究会
前回は、思想史家アイザイア・バーリン『反啓蒙思想』をテキストにして話し合いました。
発表者の藤田さんからいただいた広告文は以下です。
【引用開始】
本書表題作「反啓蒙思想」は、啓蒙思想に対抗する思想の系譜をたどる評論です。また、一緒に収められている「ジョゼフ・ド・メストルとファシズムの起源」と「ジョルジュ・ソレル」も、それぞれの仕方で啓蒙思想に批判的な立場をとった思想家を取り上げています。
啓蒙思想は一般に、近代の西欧で起こったものとされます。しかし、これを例えば、「偏見ではなく理性を重視する立場」、「伝統や慣習に懐疑的な立場」、「民族よりも個人を尊重する立場」、「生まれ持った属性ではなく個々人の選択や自由を優先する立場」などと理解すれば、決して歴史的・地理的に限定された思想潮流ではないことが分かります。現在、多様性・公平性・包括性・多文化社会といったスローガンをもとに推し進められる種々の社会変革の動きは、啓蒙のプログラムの継続を示しているように思えます。また、これが最も進んでいるように見えたアメリカ合衆国において「常識の革命」が叫ばれていることは、啓蒙への対抗も同時に盛り上がりつつあると見做せるでしょう。今なお激しくぶつかり合う「啓蒙」と「反啓蒙」の混沌のなかで、何かしら考えるヒントを与えてくれるものと期待し、私は『反啓蒙思想 他二篇』を推薦しました。
この本は、少し開いてみればすぐに分かりますが、思想家の名前がずらりと並んでおり、面食らってしまいます。有名でよく聞く名前から、名前だけは聞いたことある人、名前すら聞いたことない人(私はこれが一番多い)まで大勢出てきます。これを全て追いかけていると日が暮れてしまいますので、当日は適当に読み飛ばしながら進めることになるでしょう。精確な読解よりも、本書中の三つの論文を通じて、飽くまで現代のアクチュアルな問題を読み解くことに主眼を置き、皆様と議論できればと考えております。
【引用終わり】
由紀の感想。啓蒙思想は、平等の理念や合理主義、進歩思想など、近代社会の公理となっているものの起源といっていいものです。そこで藤田さんの狙いはアクチャアルな問題の根本を考えるために、初期の段階でこの思想傾向を批判した言説を検討するのは意義がある、というもので、私も賛成しました。今もそれがまちがいだとは思いませんが、バーリンの紹介だけでも、この頃の主な思想言説はどちらの側も非常に根源的なもので、今のリベラルなどの、表面的な流行現象とは直接結びつかないな、という思いがしました。
例えば、『反啓蒙思想』中で最も多い分量で採り上げられ、また最も印象深い十九世紀初頭の政治家・著述家のジョゼフ・ド・メストルにはファシズムの起源が見られる、と書かれています。しかし、人間社会のあらゆる正当化はしょせん相対的(あることを正当化する理屈があるなら、その正当化を覆す理屈もきっと見つかる)なので、本当に必要なのは死刑に象徴される徹底した圧政とそれへの無条件の服従だ、とした彼の言説は、全体主義の一番根底にあるものを明確に摘出しており、そこから見たら、ヒトラーやムッソリーニやフランコのファシズムはごく微温的なものだなと感じられてしまいます。まあ現実は、そう簡単に割り切れるものではない、という一般論で片付けてもいいのでしょうが、なぜそうなのか、を納得するためにも、ラディカル(過激にして根源的)な思想はあってもいいのではないか、と感じました。
連絡先:由紀草一 luna2156@mtf.biglobe.ne.jp