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芥川龍之介「地獄變」「邪宗門」と「籔の中」

―語り方と女性観―

 

                                     由紀草一

 

Ⅰ 前口上

 「頼りにならない語り手(unreliable narrator)」とは、小説で、地の文で言われている部分に嘘やまちがいが含まれていて、読者を故意にミスリードする技法。

 推理小説では普通で、アガサ・クリスティ「アクロイド殺し」は、それのみでできあがっていると言ってもよい。

 その場合の狙いは、いわゆる「どんでん返し」の驚愕を与えるエンターテインメント性。

それ以外にはどんなことが考えられるか。

 芥川龍之介の表記三作は、非常に特殊な三角関係を描いている。ここから浮かび上がるのは、(男性にとっての)女性という謎、あるいは男女関係の不可思議さ。

 

Ⅱ 「地獄變」「邪宗門」

(1)初出

「地獄變」は大正7年(1918)5月1日から22日まで「邪宗門」は同年10月から12月『大阪毎日新聞』・『東京日日新聞』に連載。

*この年芥川は満で26歳。塚本文と結婚。海軍機関学校の嘱託を勤めると同時に、大阪毎日新聞社の社友となる。

​(2女性関係

◎吉田弥生。芥川の幼なじみで初恋の相手とされる。青山女学院英文科卒。

 井川(後に恒藤)恭宛ての芥川の書簡。大正4年(1915)。

「ある女を昔から知つてゐた その女がある男と約婚をした 僕はその時になつてはじめて僕がその女を愛してゐる事を知つた」「家のものにその話をもち出した そして烈しい反對をうけた 伯母が夜通しないた 僕も夜通し泣いた」(1月28日)

「イゴイズムをはなれた愛があるかどうか イゴイズムのある愛には人と人との間の障壁をわたることは出來ない 人の上に落ちてくる生存苦の寂莫を癒すことは出來ない イゴイズムの愛がないとすれば人の一生程苦しいものはない/周圍は醜い 自己も醜い そしてそれを目のあたりに見て生きるのは苦しい しかも人はそのまゝに生きる事を強ひられる 一切を神の仕業とすれば神の仕業は惡むべき嘲弄だ」(3月9日)

*芥川はこの年、東京帝大英文科に在籍中。「羅生門」を発表。

*恒藤恭は芥川の一高時代からの親友。京都帝大法科大学に進み、法哲学者となった。

(3)モデルと題材

◎堀川の大殿・若殿のモデルは藤原道長(966―1028)藤原頼通(992―1074)親子と考えられる。ただし堀川(または、堀河)院(後に「殿」)を造成し、「堀川の大臣(おとど)」とも呼ばれたのは藤原基経(836―891、道長の高祖父)。堀川殿には道長も住んだ。

◎横川(よがは)の僧都は、とりあえず、「往生要集」で著名な源信(942―1017)か。

◎良秀は「宇治拾遺物語」中の「絵仏師良秀(ゑぶつしりやうしう)、家の焼くるを見て悦(よろこ)ぶ事」で語られている。隣家からのもらい火事で、命からがら逃げ出して、まだ妻子が屋内にいるにもかかわらず(この妻子がどうなったかは書かれていない)、これで「不動尊の火焔をうまく描ける」と悦んで見ていた。後に彼の描いた火焔を背負う「よぢり不動」は人々を感心させた。

◎融の左大臣(源融)の幽霊話は「今昔物語」に出てくる。ここで霊を叱って退散させたのは宇多天皇。

◎「身を捨てて花を惜しとや思ふらん~」の歌のエピソードは「古今著聞集」に出てくるが、歌は読み人知らず。

◎「三舟に乗る」とは、白河法王の催しで、和歌・漢詩・管弦の三分野のどれかに優れた人々を三艘の舟に分けて乗せて中で作歌・作詩・演奏を競わせた時、遅れて到着した師民部卿経信(そちのみんぶきょうつねのぶ)は、諸芸に通じていたので、自分はどの舟でも良い、と言ったという、「十訓抄」に見える故事に拠る、「三舟の才」とも言われる成句。「邪宗門」の世界からは後の世の話。

◎「思へども思はずとのみ云ふなればいなや思はじ思ふかひなし」は「古今和歌集」中の読み人知らずの歌。こちらが思ってもあなたは思っていないとだけ言うらしいので、もう思うまい、思っても甲斐がないことだから、の意味。

◎「邪宗門」の摩利信乃法師(菅原雅平?)が奉じる摩利の教(邪宗)とは、「十文字の護符(=十字架)」や「灌頂(=洗礼)」、病者を癒す力、などからみてキリスト教らしい。この法師が掲げる画像に描かれた赤子を抱いた女菩薩とは、聖母マリアだろう。

 フランシスコ・ザビエル以前にキリスト教が日本に伝わった記録はない。東方教会の一派であるネストリウス派は最も東方に到り、唐の時代に「景教」の名で支那でも盛んだった。空海など、唐で学んだ留学生達が学んだ可能性はある。しかし遣唐使は838年で最後、907年には唐自体が滅び、以後大陸への渡航は厳しく禁じられたので、摩利信乃法師がかの地に赴き(たとえ「唐土」が国名というより、漠然と支那の地を指すとしても)、この教に出会った設定には無理がある。

(4)内容

 「地獄變」は権力(者)と芸術(家)の戦いを描く。その戦いの中心に置かれてしまったのが良秀の娘。

 物語の語り手は堀川の大殿の家人(家来)で、その立場からくるバイアスが思いっきりかかっている。

◎【堀川の大殿様のやうな方は、これまでは固(もと)より、後の世にも恐らく二人とはゐらつしやいますまい】【下々の事まで御考へになる、云はば天下と共に楽しむとでも申しさうな、大腹中の御器量がございました】

 これは嘘。

◎【吝嗇で、慳貪で、恥知らずで、怠けもので、強慾で――いやその中でも取分け甚しいのは、横柄で高慢で、何時も本朝第一の絵師と申す事を、鼻の先へぶら下げてゐる事でございませう。それも画道の上ばかりならまだしもでございますが、あの男の負け惜しみになりますと、世間の習慣(ならはし)とか慣例(しきたり)とか申すやうなものまで、すべて莫迦ばかに致さずには置かないのでございます】

 この良秀評は、少なくとも世間の評判に関する限り、正しい。
◎【その頃大殿様の御邸には、十五になる良秀の一人娘が、小女房に上つて居りましたが、これは又生みの親には似もつかない、愛嬌のある娘でございました。その上早く女親に別れましたせゐか、思ひやりの深い、年よりはませた、悧巧な生れつきで、年の若いのにも似ず、何かとよく気がつく】

 彼女はイノセントな存在と思われる。彼女をめぐる大殿と良秀の対立

【良秀の娘を可愛がるのは、唯可愛がるだけで、やがてよい聟をとらうなどと申す事は、夢にも考へて居りません。それ所か、あの娘へ悪く云ひ寄るものでもございましたら、反つて辻冠者ばらでも駆り集めて、暗打(やみうち)位は喰はせ兼ねない量見でございます。でございますから、あの娘が大殿様の御声がゝりで、小女房に上りました時も、老爺(おやぢ)の方は大不服で、当座の間は御前へ出ても、苦り切つてばかり居りました。大殿様が娘の美しいのに御心を惹かされて、親の不承知なのもかまはずに、召し上げたなどと申す噂は、大方かやうな容子を見たものゝ当推量から出たのでございませう】

【かやうな事(引用者註。良秀が娘を返すことを願い出、大殿が拒絶する)が、前後四五遍もございましたらうか。今になつて考へて見ますと、大殿様の良秀を御覧になる眼は、その都度にだんだんと冷やかになつていらしつたやうでございます。すると又、それにつけても、娘の方は父親の身が案じられるせゐでゞもございますか、曹司(そうじ。引用者通。貴族の邸内で仕える者たちの部屋)へ下つてゐる時などは、よく袿(うちぎ)の袖を噛んで、しく/\泣いて居りました。そこで大殿様が良秀の娘に懸想なすつたなどと申す噂が、愈々拡がるやうになつたのでございませう。中には地獄変の屏風の由来も、実は娘が大殿様の御意に従はなかつたからだなどと申すものも居りますが、元よりさやうな事がある筈はございません】

 「さやうな事」が事件の真相。

◎【「なに、己に来いと云ふのだな。――どこへ――どこへ来いと? 奈落へ来い。炎熱地獄へ来い。――誰だ。さう云ふ貴様は。――貴様は誰だ――誰だと思つたら」】【「誰だと思つたら――うん、貴様だな。己も貴様だらうと思つてゐた。なに、迎へに来たと? だから来い。奈落へ来い。奈落には――奈落には己の娘が待つてゐる。」】

 良秀が「貴様」と言うのは、寝る度に良秀の夢に現われる地獄の獄卒。

 この時には娘はまだ死んでいないので、それが「奈落で待つてゐる」とは、予知夢ということであろう。

◎大殿は良秀の願いに応じる形で娘を焼き殺し、良秀と娘の双方に復讐を遂げる。良秀はこれによって生きながら地獄に墜ちながら、それによって畢生の傑作を完成させる。敗北がそのまま勝利となる、しかしこの勝利は、彼自身を含めた何者をも救済しない。どこまでも曖昧な二重性。そのために、曖昧な語り方が最も相応しい。

◎大殿は「邪宗門」の最初で罰せられる。

【ある女房の夢枕に、良秀の娘の乗つたやうな、炎々と火の燃えしきる車が一輛、人面の獣けものに曳かれながら、天から下りて来たと思ひますと、その車の中からやさしい声がして、「大殿様をこれへ御迎え申せ。」と、呼よばわつたさうでございます。その時、その人面の獣が怪しく唸つて、頭を上げたのを眺めますと、夢現の暗やみの中にも、唇ばかりが生々しく赤かった】

 唇が赤いのは良秀の容貌の特徴。

◎若殿は「地獄變」の最初の頃に猿(良秀に似ている)を追う幼い姿で登場する。「邪宗門」では、成長して、大殿の華美豪奢好みに対して繊細優美を愛する青年となっている。しかし、柔弱ではなく、善悪いずれにもせよ、大殿よりずっと奥深い、底知れない人物として描かれている。

◎若殿は大殿とは事毎に対立していた。きっかけとしては、若殿が笙を習っていた中御門の少納言の変死がある。

【「この頃は笙も一段と上達致したであらうな。」と、念を押すように仰有おっしゃると、若殿様は静に盤面を御眺めになったまま、

「いや笙はもう一生、吹かない事に致しました。」と、冷かに御答へになりました。

「何としてまた、吹かぬ事に致したな。」

「聊ながら、少納言の菩提を弔はうと存じますから。」】

【噂を立て易い世間には、この御姫様御自身が、実は少納言様の北の方と大殿様との間に御生まれなすつたので、父君の御隠れなすったのも、恋の遺恨で大殿様が毒害遊ばしたのだなどと申す輩も出て来る】

 右の「噂」が本当なら、若殿と中御門の姫は異母兄妹ということになる。

◎若殿―中御門の姫―摩利信乃法師(菅原雅平?)の三角関係は、権力対宗教かと思うと、少し違う。若殿の人物像とともに、頂点にいる姫も、闊達で、【随分世を世とも思わない、御放胆な真似】もする、というだけに、決してイノセントではない、やはり奥深い人物になっている。そこでこの関係自体も複雑になる。

◎摩利信乃法師は、かつて中御門の姫に恋い焦がれながら、思いが叶わず、唐土にさすらい。そこで胡僧(異国の僧)から天上皇帝の教えを聞き、真理に目覚めた、菅原雅平の後身らしい。だとすれば、かつては堀川の若殿の朋輩でもあった。

【雅平は予と違つて、一図に信を起し易い、云はば朴直な生れがらぢや。されば予が世尊金口(せそんこんく)の御経も、実は恋歌と同様ぢやと嘲笑ふ度に腹を立てて、煩悩外道は予が事ぢやと、再々悪しざまに罵り居つた。その声さへまだ耳にあるが、当の雅平は行方も知れぬ。】

 不変の真理を求める雅平―法師に対して、若殿はエキュピリアン的とでも言うべき人生観の持ち主。すべてが無常であるならば、その無常の最中に後生の永遠を求めるのも、恋に没頭して無常を一時忘れるのも、所詮は同じことではあないか、と。

 この思想の対立は非常に興味深いものだが、物語はこれを軸に展開するわけではない。あるいは、そこに到る前段階で未完に終わる。法師は敬虔な求道者というより、強大な法力を駆使する術者の印象が強く、物語はハリー・ポッターさながらの魔法合戦でクライマックスを迎えるが、その結末はつかない。

◎薄色の袿(上衣)。語り手が、法師襲撃の際、姫が着ているのと同じと思えるものを法師が肩にかけていのを見て不安を抱く。この時は、語り手の甥が橋の下で、法師と平太夫の会話で、法師が亜姫に会いたいと言っているのを聴いてから、(文中「三、四日」が二度くりかえされていて)だいたい十日ぐらい後のことになる。法師が姫から袿をもらうとすれば、この期間しかない。これ以前に若殿はもう姫の元に通いつめている。

 平太夫は少納言殺しの件で堀川殿の一族を恨んでいた。「辻冠者ばら」を雇って若殿を襲い、見事に返り討ちにされたからと言って、若殿が姫と懇ろになるのを黙って認めるのは不審と言えば不審。また、姫も父である少納言殺害の同じ疑いを抱いたのだとすれば、若殿を迎えたのは……という疑念も湧く。

 これらの伏線をすべてうまく回収するのは至難。芥川も、華麗な文体を駆使してここまで話を作ったが、とうとう投げ出したものらしい。

Ⅲ 「藪の中」

(1)初出

『新潮』大正11年(1922)1月号

(2)女性関係

◎秀しげ子

 芥川を最も悩ませたと思しき女性。歌人。芥川の二歳年長で、夫も子もあった。日本女子大家政科卒。大正8年岩野泡鳴主宰の新人文士の会「十日會」で出会う。どこか愁いを帯びた表情に惹かれ、日記「餓鬼窟日録」では「愁人」と呼ばれている。芥川の家にもしげしげと訪れ、文子夫人に高価な贈り物もしている。

 しげ子と芥川の情交は一度きりではないかと考えられているが、じきに辟易させられようになる。また弟子だった若手作家の南部修太郎とも密会しているところにたまたま出くわしたりもした(小島政二郎「長編小説 芥川龍之介」)。大正10年、大阪毎日新聞社の海外特派員として支那へ赴いたのも、彼女を振り切るためという理由が大きかった。

 それにしても、「歯車」(昭和2年、死の年)では「復讐の神」、「或阿呆の一生」(同年)では「狂人の娘」と呼ばれるしげ子は芥川にとって具体的にはどういう存在だったか、真相はいまいちわからない。

【僕は罪を犯したことに良心の呵責は感じてゐない。

 唯相手を選ばなかつた為に(秀夫人の利己主義や動物的本能は実に甚しいものである。)僕の生存に不利を生じたことを少からず後悔してゐる。】(遺書より)

【少年のどこかへ行つた後、狂人の娘は巻煙草を吸ひながら、媚びるやうに彼に話しかけた。

「あの子はあなたに似てゐやしない?」

「似てゐません。第一……」

「だつて胎教と云ふこともあるでせう。」

 彼は黙つて目を反らした。が、彼の心の底にはかう云ふ彼女を絞め殺したい、残虐な欲望さへない訣(わけ)ではなかつた。……】(「或阿呆の一生」)

(3)題材

「今昔物語」巻二十九第二十三話「具妻行丹波国男 於大江山被縛語(妻を具して丹波国に行く男、大江山において縛らるること)

京に住む男が妻を実家の丹波へ連れて行く途中、屈強な若い男と連れになった。若い男はよい太刀を持っていて、夫は自分の弓と交換する。その後昼食のためにと藪の中へ連れ込まれ、弓で脅かされて木に縛り付けられ、持ち物を奪われる。さらに、最初はそのつもりはなかったのに、妻がたいへん可愛いのを見て、夫の目の前で強姦し、立ち去る。妻は夫を解放し、「あなたはなんいう頼りない人でしょう。これでは今後もろくなことはありませんね」と言った。夫は何も言わず、二人は予定通り丹波へ向った。

(4)内容1 状況証拠で考えると

(以下ではA=多襄丸の白状、B=清水寺に來れる女の懺悔、C=巫女の口を借りたる死靈の物語、とする)

 客観的な事実などというものはなく、個々人にとっての事実しかない、というのが作者の考え(福田恆存)だとしても、そのわりには客観的な証拠とみなせそうなものを「木樵りの物語」としてのっけに出している。列挙して、後の当事者三人の話との矛盾点を示すと、

①死体は仰向けに倒れていた。→ Bと矛盾する。縛られている状態で刺し殺されたなら、仰向けにはならないはず。

②死骸の傍の杉の根がたに、繩が一筋と櫛が一つ墜ちていた(櫛については、その後一切触れられることはない)。 → 女物の櫛だとすればAと矛盾。真砂は杉の木の近くには行かなかったはず。

 縄については、ほどかれたもの(AとB)か、切られたもの(C)か、一目見てわかるはずだが、その記述はない。

③【草や竹の落葉は、一面に踏み荒されて居りましたから、きつとあの男は殺される前に、餘程手痛い働きでも致したのに違ひございません。】 → BとCに矛盾する。ただし、縛りつけられる前の武弘の、あるいは強姦される前の真砂の「働き」の可能性もある。

 

  • 内容2 女性心理で考えると

 「藪の中」が印象深いのは、すべてが曖昧なのに、それらを貫いて、ヒロイン・真砂の強烈なキャラクターに浮かびあがってくるから。

 二人の男と交わった(そして、二人の男ともその事実を知っている)以上、どちらか一人には死んでもらわなければならない。【あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男に恥を見せるのは、死ぬよりもつらい】

 矛盾した三つの話すべてに共通するこの感情(羞恥感? 倫理観?)は、そんなに一般的なものとは言えないだろう。ただ問題の男二人のうち一人乃至二人の目に軽蔑を読み取った場合、その屈辱感への怒りから、そういう目で見る男を死なせるand/orそういう目で見られた自分も殺す、という気分になるということはわかるような気がする。

上をBはストレートに語っている。Aはどちらもなく、二人の男は彼女をめぐって命をかけて戦う。Cでは両方の男から蔑まれる。

 Cが真実とした場合には、真砂は結果としてどちらの男のものにもならず、その場を逃げ出す(たぶんほとんど走ったことがない女の足で屈強な多襄丸の手から逃れられたか、という疑念が残るが)。最後に武弘の胸からそっと短刀を抜いたのは、普通に考えて真砂だろう。彼女は夫の死を見て、しかしもう一人の男からも蔑まれている自分を情けなく思い、自死を決意する。その心持ちを、自己正当化を加え、あるいは自分だけでは死にきれないので、死罪になることを期して、Bのような話にしたのではないだろうか。

 その逆がAの話で、多襄丸は、どうせ以前から捕まれば死罪は免れない身であるなら、一度は妻にしたいとまで思った女の名誉を多少は保ち、また、罪を問われることがないように、語ったのではなかったか。 

 そして作者芥川が敢えてこんな語り方にしたのは、あちこち揺れるようでいざとなるとひどく果断な、男には摩訶不思議に見える、女自身も「理解」しているかどうかわからぬ女性心理を描くのには、こういうのが最適だと思ったから。と、今現在の私(由紀)の仮定です。

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