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​    シネクラブ黄昏アーカイブ

2015年10月4日 後藤隆浩

生駒千里監督『朝を呼ぶ口笛』(1959、日本)

 生活苦を抱える優秀で健気な新聞配達少年とその兄貴分である大学生の将来の進路をテーマとした心温まる作品で、主催者としては、貧しかった自分の少年時代を彷彿とさせる思いでした。当時の人たちの憧れや諦めがどのあたりにあったかがリアルに表現されており、現在との大きな懸隔を感じさせます。

 

12月20日 由紀草一 

吉田大八『桐島、部活やめるってよ』(2012、日本)

 「桐島」は現代の高校生にとってのカリスマですが、この人物が最後まであらわれない所に、かつてあった「青春の夢」の統一像の完膚なきまでの終焉を見る思いでした。それでも高校生たちは、それぞれの立場で〇〇し、△△し、✕✕しながらその日その日を生きているのでしょう。

 

2016年2月28日 大津武龍

塚本連平監督『ぼくたちと駐在さんの700日戦争』(2008、日本)

 地方の半端な不良高校生グループと生真面目な警官とのユーモラスな「終わりなきたたかい」が、ひとりの病気の少女の願いを叶えてあげようとする共通した思いへと収束してゆくハートウォーミングな結末に至ります。いいものを見たという爽やかさが残りました。

 

6月5日 小浜逸郎

リンゼイ・アンダーソン監督『八月の鯨』(1987、アメリカ)

 

月25日 MAKO

ジャック・ベッケル監督『肉体の冠』(1952、フランス)

 ベル・エポックに時代を取り、パリの庶民階層を主役にしたフィルムで、やくざ映画の原型のような雰囲気もあり、哀しさと同時にたいへん懐かしさを感じさせました。

 

12月11日 小林知行

J・C・チャンダー監督『マージン・コール』(2011、アメリカ)

 企業破綻という事件が進行していく中で、世代や立場の違う社員たちの生活ドラマが淡々と描かれ、なかなかに切なさを感じさせる作品でした。デフレ不況は依然として続いています。他人事ではないと感じられた方もいらっしゃるかもしれません。

 

2017年3月5日 後藤隆浩 

衣笠貞之助 /エドワールド・ボチャロフ監督『小さな冒険者』(1966、日ソ合作)

 社会主義国家への幻想がまだ濃厚に残っていた時代のフィルムで、ソ連のいいところばかりが紹介されているのが少々気になりましたが、日本側の撮影、宇野重吉の演技などが光っていました。時代の激しい推移を感じさせる作品でもありました。

 

5月28日 由紀草一

ウィリアム・ワイラー監督『探偵物語』(1951、アメリカ)

 刑事部屋を舞台にさまざまな人間模様が交錯しますが、非情な主人公ジム・マクラウド刑事の悲劇的な最期が自己処罰のように思えて、西洋キリスト教文明の激しい内部矛盾を感じさせる傑作だと思いました。さすがはウィリアム・ワイラー。もとは劇場用の作品ですが、映画でもその面白さがよく活かされています。観客代わりに登場する万引き犯の女を演じるリー・グラントは、この作品でカンヌ映画祭女優賞を受賞しています。

 

9月10日 上田仁志

前田陽一監督『神様のくれた赤ん坊』(1979、日本)

 同棲している男女のもとに突然女があらわれ、五歳の男の子と手紙を置いて帰ってしまう。手紙には「この子の父親は以下の五人のいずれかである。」として男を含む氏名と住所が。男女はいがみ合いながらもやがて父親探しの旅に。女には自分のルーツ探しという動機もある……。コミカルなタッチのロードムービーですが、様々な人生模様があぶり出され、ハートウォーミングな秀作と拝察いたしました。

 

12月10日 田幸正彦

滝田洋二郎監督『天地明察』(2012、日本)

 幼い頃から天文や数学に深い関心を寄せてきた棋士・安井算哲(渋川春海)が、関孝和、水戸光圀らの援助を得て、当時の暦を改める試みに挑戦する壮大でスリリングな物語。村瀬塾塾頭の妹・えんと内縁関係になりますが、気丈なえんの愛とサポートが印象的でした。算哲の真理追究の情熱のために、えんとの約束が何度も延ばされるところに、暦のずれというテーマのメタファーを読みこんだのは、深読みのしすぎでしょうか。でも、何とこの映画がきっかけか、主役の岡田君とあおいちゃんは結婚することになりましたね。

 

2018年2月11日 小浜逸郎

川島雄三監督『幕末太陽伝』(1957、日本)

 フランキー堺の見事な身のこなし、その生き急ぎぶりに、川島監督の人生観がいみじくも映し出されていたように思います。

 

4月22日 河南邦男

マーク・ロマネク監督『私を離さないで』(2011、イギリス)

 河南さんには、原作への言及も含めた大部のレポートも用意していただき、たいへん充実した会となりました。この場でお礼申し上げます。映画では、クローン人間の過酷な運命と三人の男女の繊細な葛藤が描かれますが、「人間もいつかは死ぬ」というセリフが出て来るラストシーンが印象的で、ふつうの人の人生の暗喩になっているところが心に響きました。あとで原作を読んだのですが、原作と比べると、やや見劣りがすると感じたのも事実です。

 

 

7月1日 山崎灯里

陳凱歌監督『覇王別姫』(邦題『さらばわが愛』、1993、中国・香港合作)

 楚王・項羽と虞美人に材を取った京劇を、少年時代からの二人の相棒役者が四十年間余り演じ続ける姿を描いた大作。主役たちの激しいエロスの葛藤と同時に、日華事変から、国民党政府、産党政府、文化大革命、改革開放時代に至るまでの中国社会の、激動の歴史の一端を再認することができました。

 

9月2日 由紀草一

溝口健二監督『雨月物語』(1953、日本)

 庶民の男たちの愚かしい野望と幻想の犠牲になる堅実な妻たち。時代は戦国時代ですが、時は移っても、この構図はあまり変わらない普遍性を持っているということを強く感じさせました。でも愚かしさとだけ言って済ませられるか? 要は男と女のバランス。

 また、溝口の完璧主義的な美意識と撮影の宮川一夫の見事なカメラショットとが融合した、モノクロ作品の美しさを代表するような映画でした

 

11月11日 後藤直美

リチャード・フライシャー監督『ソイレント・グリーン』(1973、アメリカ)

 2022年を舞台としたディストピア映画です。

 人口爆発のためにニューヨークの人口は4000万人、荒廃しつくした都市は大多数の食住を失った貧民であふれかえり、主食は独占企業ソイレント社が配給する緑色のクラッカーのような合成食品のみ。

 昔あった食品はめったに手に入らないので、闇市のようなところで高い値で売られています。

 ごく少数の特権階級は豪邸に住んで若い女性を「家具」と称して囲っています。

 ソイレント社の幹部が一人の若者によって殺されます。

 警察官ソーン(チャールトン・ヘストン)は同居人の元学者ソル(エドワード・G・ロビンソン)の協力を得て捜査に乗り出しますが、じつはそんなに正義漢というわけでもなく、ふだん食べることのできない戦利品を現場からしこたま持ち帰ります。

 ソルは、「取引所」と称する老いぼれ学者たちの集まる場所で、合成食品の秘密を知り、生きる気力も失せて、安楽死施設の「ホーム」に入り、慌てて駆け付けたソーンに遺言を残します。

 ソーンは遺言の裏付けをとるために、食品製造工場に忍び込みます。

 合成食品の原料は、プランクトンということになっていますが、じつは……。

 

 この作品で感じたことは主に三つあります。

 ひとつは、2022年という年代設定が、もうすぐそこに迫っているので、

いまのグローバリズム政治のひどさとどうしてもダブって見えること。

 もう一つは、この作品は、ヒーロー自身がお堅い警察官ではないことからもわかるように、単なる勧善懲悪ものではなく、社会秩序や倫理道徳が徹底的なまでに失われたアナーキーな世界を描き出すところに主眼が置かれている点が一つの見どころだということ。

 これは、暴動を起こそうとした民衆をブルドーザーで容赦なくほっぽり込んでいく印象的なシーンにも表れています。

 最後に、先進国では、人口爆発による食糧難は今のところ避けられているものの、ほぼ半世紀前に、私たちがいま共有する世界不安をかなりリアルに表現しえているのはなかなかの腕前だということ。

 以上です。

2019年1月13日 夏子期

今敏監督『東京ゴッドファーザーズ』(2003年、日本)

 クリスマスの晩、自称元競輪選手のギンさん、オカマのハナ、家出娘のミユキの三人のホームレスが、

 ゴミ捨て場に捨てられた赤ちゃんを発見、ハナの強い願望でテント小屋で育てることになります。

 親を探し始めるところからさまざまな偶然が重なり、ドラマは急テンポで展開。

 三人はさんざんな目に遭いながら、最後は本当の親が見つかり、感謝を受けるという結末。
 

 新宿裏通りなど、ごみごみした街路の精密な背景描写や、

 ちょっとした小道具などに巧妙な工夫が凝らしてありました。

 また、画面を意識的に暗く設定し、ちょっとレトロな雰囲気を漂わせることで、現代の決して明るくない空気をうまく醸し出していました。

 しかし反面、あまりに偶然性に頼り過ぎたストーリー展開に疑問を感じる意見や、スピードとドタバタを重視したコマの動きについていくのが難しいという感想も聞かれました。

 私も含めて、アニメにあまり慣れていない鑑賞者の年齢も関係しているかもしれません(笑)。

2019年3月17日 後藤隆浩

市川崑監督『炎上』(1058年 日本)

 吃音の孤独な青年・溝口(市川雷蔵)が、物故した父親の縁で金閣寺(映画では驟閣寺)の徒弟となり、「驟閣ほど美しいものはこの世にない」と父から吹き込まれていた言葉をよりどころに、驟閣への執着を深めて行き、現世の穢れと無理解に耐えられず、ついに驟閣との一種の「心中」を企てるという筋立てです。

 原作とはだいぶ重点の置きどころが異なっていますが、この作品は、当時たいへんな評判を取ったようです。この映画が縁となって、三島と雷蔵は親交を深め、また雷蔵は、それまでの型通りの剣劇俳優から脱皮するきっかけをつかみました。

 ただ、いま見ると展開が早すぎるせいか、溝口が驟閣を燃やすに至る動機の必然性がやや納得しにくいところがあります。これはまったく別の意味で、原作にも言えることです。

 仲代達矢の演技と、宮川一夫の撮影技術が光っていました。

 

5月26日 井上崇

デヴィッド・ヴェンド監督『帰ってきたヒトラー』(2015年 独)

 コメディタッチですが、なかなかシリアスな問題を扱った名作と拝察しました。

 

 2014年、ヒトラーが、自殺したとされる地下壕跡から突然甦り、周りはそっくりさんとしてもてはやしますが、本人は現代の「移民に溢れた自由民主主義ドイツ」に本気で挑戦します。

 

 テレビ局を首になったザヴァツキが、その存在を知り、局への復帰を狙ってヒトラーと共にドイツ各地を回るうち、彼の(コメディアンとしての)人気は次第に高まってゆきます。ザヴァツキは復帰を認められ、ヒトラーはテレビ各局の番組で一躍有名になります。評判は、賛否こもごも。

 

 ヒトラーはザヴァツキの家に寄寓して、本を書きますが、これがまた大ヒット。

 

 映画製作の話が持ち上がり、ザヴァツキはその監督を務めます。

 

​ ザヴァツキの恋人クレマイヤーの家を訪問したヒトラーは、クレマイヤーの祖母と顔を合わせますが、ユダヤ人で認知症の祖母は本物のヒトラーであることを見抜き、いきなり元気になって喰ってかかります。

 

 疑念を抱いたザヴァツキは、ヒトラーが最初に現れた場所へ行き、そこが総統の地下壕跡地だったことを突き止めます。ザヴァツキはそれを知って、あれが本物であることを確信しますが、周りからは相手にされません。

 

 ザヴァツキは自らヒトラーを処分するほかないと考え、拳銃でビルの屋上に追い詰め、拳銃をの引き金を引きますが、ヒトラーは地上に落下したと思いきや、またすぐ近くに現れ、「私はみんなの心の奥底にあるものを引き出しただけだ」という名言を吐きます。

 

 ところが、この成り行き全体が映画の一コマであったことが最後に明かされます。

 

 どこまでが現実で、どこからが制作された映画であるのか見分けがたく、観客は、その巧妙なトリックに引っかかってしまう「楽しい迷宮」を味わうわけです。

 

 しかし考えてみれば、私たち観客は、あくまで初めから「映画」を見ているのであって、フィクションをフィクションと知りつつ、それを現実と思いこまなければ、感情移入すらできないわけですから、こういう入り組んだトリックはなかなかよく考えられた知的なスリルに満ちていると言えましょう。

 

 最後に、この映画が2014年のベルリンを舞台にしており、15年の10月に公開されている事実は、まことに暗示的です。というのは、同じ15年の9月に、あのメルケル首相の「移民受け入れに上限なし」という宣言がなされているからです。その結果(メルケル宣言だけが原因ではありませんが)、ドイツのみならず、EU諸国がどういう苦悩を抱えることになったかは、人のよく知るところです。以後、EU諸国は、移民受け入れを巡って深刻な国論の二分を招き、その混乱は、いまなお収まる気配を見せません。

月29日 田幸正彦 

マイケル・チャップマン監督『栄光の彼方に』(1983年、米)

 鉄鋼産業以外にさしたる産業のないピッツバーグ近郊の田舎町の高校で、アメリカンフットボールに青春を賭け、大学からのスカウトによって、発展性の望めない町からの脱出を試みる若者たちの切ない心情がよく描かれていました。

 3年前の大統領選で、ペンシルベニア州の票をトランプ候補が勝ち取りましたが、いわゆる「ラストベルト地帯」の疲弊状況が35年前から続いていた(いったん再興したという説もあり)ことがわかり、トランプ候補がこの地帯の、特に白人労働者の支持を取り付けた事情がよく呑み込める映画でした。

 コーチと選手たち、特に主役のステフ(トム・クルーズ)との確執が、あっさりと解けてしまうラストシーンに、やや作品としての甘さが感じられはしましたが。

12月15日 小浜逸郎

ロバート・マリガン監督『アラバマ物語』(1956年、米)

3月15日 山崎灯理

芹沢有吾監督『わんぱく王子の大蛇退治』(1963年、日)

 「古事記」のスサノオの命のエピソードを基に作られた長編アニメーションです。

 まだCGなどなかった時代だったのに、斬新なグラフィックと、アクション描写、特に空中戦の眼をみはるような迫力を堪能できる作品でした。日本のアニメ映画草創期を支えたアニメーターたちの技術と心意気が画面から伝わってくるようでした。

6月7日 由紀草一

ビリー・ワイルダー監督『情婦』(1957年、米)

 アガサ・クリスティ原作、タイロン・パワー、マレーネ・ディートリッヒ主演

 名作の名に恥じず、法廷ドラマのスリル満点、最後まで息もつかせぬ面白さを味わいました。

最後にどんでん返しが二回、まるで観客をだますことを面白がっているようです。

 ハリウッド映画ですが、舞台はイギリスで、脚本もいかにもイギリス風のウィットとユーモアが随所にちりばめられています。弁護士役のチャールズ・ロートンが何とも言えないいい味を出していて、主役はむしろこちらと言ってもいいかもしれません。

 「ほんとう」と「演技」との違いはどこにあるのか、ということを考えさせる作品でした。だって、作品全体も「演技」なのですから。

 一つだけ、文句。『情婦』という邦題は内容にふさわしくありません(原題は"Witness for the prosecution" つまり「検察側の証人」)。「愛の代償」とでもしたら?

9月13日 根村恵介

フェデリコ・フェリーニ監督「悪魔の首飾り」(オムニバス映画『世にも怪奇な物語』1967年)の一部。仏伊合同)

 この映画は、すべてポオの原作によるものです。

 かつて大スターで今はあまり顧みられなくなったイギリスの俳優ダミット(テレンス・スタンプ)がフェラーリを報酬にローマから出演依頼を受けて招待されますが、アル中で神経を病んでいる彼は悪魔の幻覚に悩まされています。やがてフェラーリを受け取った彼は、無茶なスピードで走り回り……。

 いかにもフェリーニ作品らしく、ほとんど主人公目線で映し出され、

 映像でなくては表現できない重層的な画面構成でした。ちょっとグロテスク。

 また、フェリーニのローマに対する異常なほどの執着を感じさせる作品でもありました。

 上映時間が短かったので、残り時間はあちらこちらに話が飛び、談話に花が咲きました。

 

12月13日 小浜逸郎

シドニー・ルメット監督『セルピコ』(1973年、米)

 警察の組織的な腐敗に一人敢然と戦う孤独な刑事・セルピコの頑固なまでの生き方を描いた作品で、実話に基づいています。彼を心からサポートしてくれるのはひとりの友人と左遷先の署長で、その友人とも一時は仲たがいしてしまいます。恋人にも愛想を尽かされて別れますが、彼は最後まで戦うことをあきらめません。そして・・・・

 上映時は、ちょうどアメリカ大統領選挙で、トランプ氏が民主党と主流メディアの組織的な選挙詐欺に戦いを挑んでいた時と重なっていたため、上映者は、セルピコとトランプ氏を重ね合わせて見てしまうのを禁じ得ませんでした。

 それにしても、アル・パチーノはカッコイイ!

 

令和3年3月21日 河田容英

トニー・ブイ監督『季節の中で』(1999年、ベトナム)

 参加者の誰も見たことがなく予備知識もなかったため、子どもが映画を見る時のように、先入観なしで鑑賞することができました。

 ホーチミン市を中心に、蓮の花摘みの少女とハンセン病の老詩人との交流、シクロ(自転車のタクシー)乗りと娼婦との駆け引き、商売道具を盗まれ町を彷徨する少年、ベトナム女性との間に生まれた娘を探し求めるアメリカの退役軍人の話と、四つの物語が互いに少しずつ関わりながら最後まで一つの結末に収斂することなく並行して淡々と流れます。それぞれつらい人生を背負いながらも、希望をのぞかせて終わります。蓮の花摘みの少女が売る蓮の蕾が美しく、登場人物たちの逞しく生きる姿を象徴しているようです。全体が長編詩のような趣でした。明快な起承転結劇を期待する向きには飽き足りないかもしれませんが、独立したオムニバスではないところにかえって抒情性の統一があり、こういう手法に、異国の町を全体として味わえる懐かしさのようなものが感じられました。

 

月20日 根村恵介

ルイス・ジョン・カルリーノ監督『午後の曳航』(1976年、日英米合作)

 三島由紀夫の小説を、舞台をイギリスに置き換えて、しかし内容は忠実に伝えた映画でした。景色の美しさが印象的ですが、秘密結社で活動している不気味な子ども達や、孤閨の苦しみに悶えるヒロインを演じるサラ・マイルズの好演は光っていました。

10月17日 小浜逸郎

島雄三監督『洲崎パラダイス赤信号』(1956年、日本)

 売春防止法施行(1957年4月)直前、東京江東区の赤線地帯・洲崎パラダイスにわたる橋の手前にある小さな飲み屋「千草」に、行き暮れた一組の男女(義治と蔦枝)が訪れます。

洲崎パラダイスはすでに落ち目の遊郭で、いつその灯が消えるかもわかりません。

 飲み屋のおかみさん(お徳・轟夕起子)は、四年前に亭主が若い娼婦とともに逃げられ、女手一つで二人の男の子を育てていますが、亭主に対しては複雑な思いを抱えています。

 義治はもと遊郭にいた蔦枝に惚れて身請けしたものの、それがもとで会社を首になり、親には結婚に反対され、働く元気もなくしています。これからどうやって生活していけばいいのか目途も立っていません。しかし蔦枝はたくましくお徳さんに女中として雇ってもらい、お徳さんは義治にそば屋の出前持ちの職を紹介してくれます。

 それからドラマはさまざまなすれ違いを契機として急テンポで展開していくのですが、蔦枝と義治の恋の執念と嫉妬と葛藤、お徳の亭主の帰還を巡る騒動など、当時の下町の風俗が緻密に描かれています。

 印象に残る場面がたくさんあるのですが、蔦枝が義治に会えずに川を渡ってふたたび遊郭の世界に戻ろうかと迷うときの夜の光景が作品世界の全体を象徴しています。結局、ある事件をきっかけに二人は再会し、ぎりぎりのところで踏みとどまって堅気で生きていくことになるのですが、戦後の復興がスタートし始めたころの貧しい庶民の生活と人情が活写されていて、当時を知るのにも恰好の作品です。

​​ 今の私たちの個人主義的な生活感覚からすると、隔世の感がありますが、どちらがいいのか、一概には評価できませんね。よく考えてみる必要がありそうです。

令和4年3月13日 瀧本敬士

アルフレッド・ヒッチコック監督『私は告白する』(1953年、米)

 モンゴメリー・クリフト、アン・バクスター主演のサスペンス映画ですが、普通の推理ものとは違って、殺人事件の真犯人は冒頭から明らかにされます。告懈によってこれを知らされた神父は、聖職者の守秘義務として、公にすることはできません。やがて不利な状況が重なり、神父自身が犯人ではないかと疑われるのですが、彼は最後まで秘密を守り通します。そんな彼を見舞う運命とは? 
​ 最初から最後まで緊張の糸がピント張って目を逸らすことができず、ラストの主人公の孤独感が際立って忘れ難い印象を残す、名匠ヒッチコック監督最盛期の名画でした。

令和4年6月12日 汲田泉

ウィリアム・ワイラー監督『我等の生涯の最良の年』(1946年、米)

 第二次世界大戦終結直後に発表され、「風と共に去りぬ」以来のヒットを記録した名画として知られていますが、過酷な戦場を体験した復員兵たちの社会復帰という、重いテーマを扱っています。名匠ワイラーが見事なカメラワークを駆使して、明快にストーリーを運びながら、個々人の内面をじっくり描き出す手法のおかげで、三時間に及ぶ長尺でしたが、最後まで惹きつけられました。ハッピーエンドは、やや御都合主義的な感じもするのですが、それより、「愛」の可能性を信じることができたこの時代と現代との落差が、ある寂しさをともなって、胸に残ります。

令和5年7月2日 由紀草一

黒澤明監督「生きる」(1952年、日)

 本作を選んだのは、本年オリヴァー・ハーマナス監督、カズオ・イシグロ脚本の英映画「Living」を見て、久しぶりに思い出したからです。少し気恥ずかしかしくなるくらいのストレートなメッセージを伝える作品で、「生きるということは、情熱をもって建設的に生きるということだ。そうすれば、ささやかなものであっても、他者の心に何かが伝わり、残る」と語りかけてきます。これは時代や場所を超えて伝わるものだ、ということは、ハーマナスの映画でよくわかりました。素直に、感動的です、

​ 音声が小さくて聞き取りずらい上映になってしまったことが、こちらの不手際で、残念でした。

12月10日 田幸正彦

ミック・ジャクソン監督「否定と肯定」(2016年 米)

 アーヴィング対ペンギンブックス・リップシュタット事件として知られている1996年の裁判に基づいたいわゆる法廷ものの映画です。ホロコースト否定派のイギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィングが、自分の書を、アメリカのユダヤ人女性歴史学者デボラ・リップシュタットが批判したのは名誉毀損に当たるとして訴えたものですが、フィルムに映し出されるイギリスの裁判制度や法廷戦術の実態はかなり驚きでした。「この国は推定有罪なんだ」と、イギリス人の弁護士が言うのですが、そんなことがあり得るのか? また、アーヴィングの著書の間違い(というより意図的な歪曲)が指摘され、ひいては彼のホロコースト否定論が葬られるのですが、それで即ち名誉毀損の訴えが不当であったことになるのか? あるいはまた、歴史的事実の認定を裁判所がするのか? など疑問は尽きませんが、それを含めて興味深い作品でした。​

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