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               プロパガンダ再考のお願い

                                          令和5年1月5日

                                            小林知行

皆様

 

 先日の日曜会にて当方が取り上げました「プロパガンダ」については、出版された時期が湾岸戦争直後で最新のウェブ技術を使用した説得の技法等についての言及が無いため少し物足りなさはあるものの、古典的な技法をカタログ的に整理して把握することに意義のある書物でした。

 一方で、最終盤に説得の良し悪しの条件を唐突に持ち出して尻切れトンボに終わっているあたりは非常に後味が悪く、そこに同じ引っ掛かりを覚えていらっしゃった河南さんに思考を続けて頂き、この度「再読:プロパガンダ.pdf」をものして頂きました。本節では上方の道と下方の道や、水平方向、垂直方向などの整理の枠組みが示され、新たな展開を感じ非常に嬉しく思ったところでした。当方は小浜倫理学(と言える体系は無いと思いますが、小浜さんとのやり取りを通じて)は上方の道で語られるご託宣を下方に筋道立てるような庶民の学と認識しており、この関連で江戸の石門心学等に興味がありながら十分に手が付いていないのですが、いつかきっとと思っている次第です。

 

 本件(説得の良し悪しについてしつこく考えること)については、河南さんの資料を題材に改めて皆様とお話しできたらよいと考えました。道徳と倫理の別についての再確認*、東西の倫理の違い、等からはじめて、河南さんの今回の論考の主張である「コミュニケーションの場における善とは相互性、同時性、共有性を維持しようとする意志である」を受けて、移民が増加する社会における異邦人との対人関係作法の善きありかた、ですとか、一方向的メディアから双方向メディアに移行した現今のマスコミュニケーション、テレコミュニケーションの善きあり方、等について、例えばしょ~と・ぴ~す等で議論するのも面白いかと考えました。

 

*恥ずかしながら私はこの辺り(道徳と倫理の別)のことを十分に整理して理解出来ていませんが少し調べてみても厳密な定義づけみたいなことは難しそうなので、もし議論するとしても時間制限してほどほどにするくらいで構えたいなと思いました。

 

 半月以上前に河南さんとのやり取りを行っておきながらそのままとなってしまっており申し訳ありませんでしたが、今朝方「はてな」で以下のような記事が上がっており触発されようやくキーボードに向かいました。河南さん、遅くなり申し訳ありません。

https://koo-sokzeshky.hatenablog.com/entry/meta-ethics-and-justice

 今回は、皆さまに以下の資料を事前にお目通し頂いて、事前に文書にてご意見を頂戴したうえで当日お会いして議論する方法を取ってみたいと思っております。文書につきましては、当会主催の由紀さん宛にメールでお送り願えますと幸いです。
​ 由紀草一:luna2156@mtf.biglobe.ne.jp

 以下から、河南さんからいただいた論考と、(日曜会の)言語哲学研究会で当方が配布した資料が閲覧できます。安倍「暗殺」考には現段階で判明している間違いも見受けられますが、そのまま掲載致します(題名をクリックするとその文書が表示されます)。

 次に、藤田貴也さんからいただいた論考は以下です。

・プロパガンダ再考:アブダクションと陰謀論

 最後に、由紀草一の意見は以下で述べました。

・最強の言葉には顔がない・上

・最強の言葉には顔がない・中

・最強の言葉には顔がない・下

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